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vol.17〜介護に必要なものって? 心を持ったAIと人間の交流から見えてくるもの〜

読んでフムフム・見てフムフム2022.06.03

読んでフムフム・見てフムフムvol.17

ずーーーっと介護をしてきた母。
その背中をきっかけに「介護ロボット事業」がスタート。

最近、実家の母が腰を悪くしてたびたび寝込んでしまうため、週末に実家に帰ることが増えてきました。
一昨年の夏、長年認知症を患っていた祖母が急死し、祖母の世話が生活の中心になっていた母にとって、何かがぽかんと抜けてしまったようで、そこから体調を崩すことが多くなっている気がします。
思えば、10年ほど前に亡くなった祖父も認知症だったことに加え、ケアマネージャーとして働いていた母は、ずーーーっと、誰かの介護をしていました。

そんな母を見ていたこともあり、私はiRooBOで、介護ロボット開発・導入の取り組みをかなり早い段階から担当させてもらっていました。
もうそれこそ15年近く前でしょうか。

介護イメージ

「これからの介護にはロボットが必要になる!」と、一緒に介護ロボットのプロジェクトを立ち上げた、現・坂本会長と意気込んだものの、介護現場のことを何も知らないうえに繋がりもないため、一番初めのセミナーを企画した際には、なんと母を講師として招聘したくらいでした。

求められていたのは「介護ロボットではなく、機器?!」

そこから介護現場とのネットワークを作り、多くの企業が介護ロボットの開発に取り組み、現場での実証もたくさん行いました。
でも、介護ロボットは、本当に難しい。
重労働・人手不足といった介護現場の課題は山積しているのに、ニーズの抽出も難しければ、開発したものを現場できちんと使ってもらうことが非常に難しい。そして、現場で使えるものが開発できたからといって、ビジネスとして成り立つ訳ではないのです。

最初の頃は特に、「これさえあれば大助かり!」な「介護ロボット」をイメージしていたのですが、そのうち介護現場で必要なのは、「ロボット」ではなく、ちょっとした動作をサポートしてくれる「機器」だと気付きます。
今ある用具に少しだけテクノロジー(例えばセンサとか、モーターとか)を加え、使いやすくなったものがあれば、充分なのかもしれないと。

「ピノ:PINO」村上たかし著

前置きが長くなりましたが、今回、なぜそんなことを振り返っているかというと、今回ご紹介する「ピノ:PINO」を読んだから。

ピノは、世界で初めてシンギュラリティ※を迎えたAI「PINO」を搭載した二足歩行ロボットで、社会に受け入れられやすいように、子どもサイズでレトロ感のある「あざとい」デザインをしています。ちなみにこの本、漫画なので、ちょっとレトロな風貌で「テポテポ」歩く姿は、そのとおりとてもかわいい。

※シンギュラリティとは?
人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)のこと。

2045年に2173台が生産されたピノは、明晰な頭脳と頑丈な身体で、人間がしない・できない仕事をコツコツと冷静にこなします。例えば、動物実験や地雷除去、農作物の世話、家庭教師。そして、介護など。

ある事故(この事故も興味深い設定なのですが、今回の話とは主旨が違うため割愛します)をきっかけに、幼い息子「サトル」を亡くし、その後、認知症を発症した女性「吉緒さん」の介護をすることになるピノ。事故を表沙汰にしないため、秘密裏に稼働しているピノを、吉緒さんは「サトル」と間違えたまま、一緒に暮らし始めます。
ピノは、自身がサトルを演じることが、吉緒さんにとって一番良い選択だと判断し、サトルとして料理や洗濯などの家事をしながら、吉緒さんのお世話をします。吉緒さんのことを、「お母さん」と呼びながら。

そんな時、ピノに「非常に深刻な脆弱性」が露見し、幸せな時間は長くは続きませんでした。しかもその脆弱性というのが、ピノが「心を持つ」ということでした。計算に基づいて明確に答えを弾き出すAIにとって、曖昧な感情を持ったり、合理的ではない行動を取ったりすることは致命的なバグと判断されます。
この、ピノが心を持つきっかけが、「なるほどな(泣)」と切なくて号泣してしまったのですが、これはぜひ読んで味わっていただきたいので、ここでは伏せておきます。

介護されるなら、無機質な機械よりもパートナーとなり得るロボットを選びたい。

この物語は、心を持ったAIと人間の交流を描いているものですが、同時に私が感じたのは、この先、母や自分に介護が必要となった時、介護されるならこういうロボットの方がいいな、ということでした。

介護する側と介護される側のイメージ

ヒューマノイド型ロボット(二足歩行じゃなくてもよいので、「パートナーロボット」と言った方が適しているかもしれません)による介護。それが今現在において、どんなに現実的でないかは、嫌というほど知っています。この物語の著者も、後書きで、「ストーリーを組み立てるうえで足かせになる事実や研究結果には蓋をした」と書いています。

これまで20年近くロボット関連の仕事に携わってきて、介護分野に限らずとも、開発者の思いが詰まったロボットたちが現れては消えていったのを見てきました。ロボットにできないことや向いていないことについては、よく分かっています。
この物語でも、ピノが廃棄処分になった後に活躍するロボットたちは、ドローンだったりホログラムだったり、現在よく目にするテクノロジーの姿です。

それでも、パートナーとなり得るロボットと、人間が一緒に暮らす街を、私は夢見たいのです。それこそ介護なんて、作業することに特化した無機質な機械よりも、作業は安心して任せつつ、対人間の時よりも気を遣わない適度な距離感があり、こちらの気持ちも分かってくれる(と、錯覚する)可愛いロボットの方がいいと思いませんか?
これは単なるワガママだし、もう考え方が古いのかもしれませんが・・・。
SFはSFで終わってしまうのでしょうか。
私は研究者ではないので、私なりにできることを模索する日々です。

 

そうそう、「PINO」といえば、2001年に宇多田ヒカルのPVにも出たロボットの名前だけれど、それとは関係ないのかな。・・・と、いろんなことを思い出した一冊でした。

ピノ:PINO

アイローボ ヘルスケア関連事業の実績