iRooBOマガジン

vol.3 人もロボットも、大切なのは心地良い距離感

読んでフムフム・見てフムフム2019.07.11

こんにちは。事務局マツイデです。

このコーナーは、わたくしマツイデが、ロボット関連の本や映画、見たいロボットや会いたい人など、読んだり見たりしたことを徒然なるままに綴る、ふわっとゆるっと読んでいただくコーナーです。お仕事の合間にでもお付き合いくださいね。

「わたしが少女型ロボットだったころ」 石川 宏千花 著
「ブレードランナー2049」ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督

今回は、ロボットになりたい少女と、人間になりたいロボットのお話をご紹介。
まずは、タイトルと表紙だけで選んだ本「わたしが少女型ロボットだったころ」について。
ある日、自分がロボットであることを思い出した少女は、食べることをやめてしまう。
といってもSF要素はなく、親との関係性などの悩みから摂食障害になった少女が、彼女が「ロボットである」ことを否定せずに理解しようとする少年との交流を通じて、人との距離感を学び、成長していく物語だ。

人と人との距離感は、確かに難しい。
思春期なんて特に、家庭と学校という限られた空間の中で、たくさんの人と様々な関係性を構築していかねばならない。
自分の心地いい距離感と他人の心地いいと感じる距離感も違う。
でもそれって、人と人ともそうだし、人とロボットもそうだよなぁ・・・と、なんとなく思っていたら、ふと何年か前に観た「ブレードランナー2049」の主人公“K”のことを思い出した。

Kは人造人間「レプリカント」の最新型で、違法な旧型レプリカントを解任(というか抹殺)する「ブレードランナー」。厳しい仕事から帰ると家にはAIホログラムのジョイがいて、Kとは恋人のような関係だ。しかし、ジョイはピンチに陥ったKを庇って死んでしまう(端末が壊れて消える)。ショックを受けたKが街に戻ると、ジョイと同じ顔をした別バージョンの女の子に声をかけられ、自分だけのものだと思っていたジョイが量産型だったことに気づくのだ。
愛されていると思っていたのにそれは偽物だったのか?でも、同じ顔、同じ性格だったとしても、ジョイと同じ関係性は二度と構築できないだろう。
Kは自分の存在が何なのか知りたいと思い、「本物」になりたいと願う。一度は自分を特別な存在なのでは、と期待するが、そうではないことを知り、雪の中で死んでいく。
・・・なんとも切ない結末。ちなみに前作の「ブレードランナー」に比べて情緒的な本作だが、私は結構好きだ。

ぬいぐるみでも自分が愛着を持っているものは、同じ形をしている他のぬいぐるみとは違って可愛く見える。ロボットも、自分の名前を呼んでくれたり、自分の好みを覚えていてくれたりすると、嬉しくてまた会いたくなるだろう。
人と人でも、人とロボットでも、心地良い距離感や関係性が構築できれば、誰かにとっての特別な存在になることも可能なのだ。それは難しくて時には面倒だが、考え続けなければいけない重要なことである。そんなことを思った二つの物語だった。